暮しやすい社会のためにがんばります
平和と憲法を守ります
今日は「建国記念の日」です。戦前の紀元節、神武天皇が即位したと考えられる日を太陽暦に換算したと1873年(明治6年)に明治政府によって制定されました。虚構に虚構を重ねたものです。明治維新の動乱期に、薩長政権が、天皇の権威を利用して政権の基盤の強化を図ったものです。
当時の東アジアは、激動の時代でした。1840年にイギリスと当時の清がアヘン戦争を闘っています。当時イギリスは、植民地のインドでアヘンを製造し、清に輸出し巨額の利益を挙げていました。清はアヘンの蔓延に対して、全面禁輸を断行し、アヘンの廃棄、処分を行ったことから戦争となり、清は敗北し、香港割譲などが行われました。
幕末期の日本は帝国主義勢力に対してどのように対応するかで揺れていました。徳川幕府は、イギリスやアメリカ、ロシアなどの外交政策に注視をし、巧みな外交交渉に苦慮していました。それに対して、統幕勢力は、幕府に対抗するために、当時の孝明天皇を担ぎ出す算段をしていました。孝明天皇は、極端な外国嫌い。幕府が結んだ日米修好条約を嫌っていました。倒幕勢力は、尊王攘夷(外国を討ち果たす)を旗印にしました。ところが、攘夷のために、長州藩と薩摩藩は、イギリスなどと戦争を起こします。1893年の下関戦争、薩英戦争です。どちらも圧倒的な戦力の違いによって、日本側は敗北し、薩長は、攘夷は断念、軍制を改革していきます。
その後徳川幕府を倒した薩長政権は、富国強兵の名のもとに、軍国主義への道を進めていきます。そのためにあらゆるフェイクを駆使し、自分たちの正当性を強調していきました。
ことさらに徳川幕府を無能な政権として宣伝していました。時代遅れだった攘夷を掲げたのは、自分たちであるにもかかわらずです。夫婦同姓強制の制度を作り上げたのも、明治時代でした。普通選挙制度を作りましたが、女性を対象外に置くとともに、女性の政治参加を極端に制限しました。
戦後は、紀元節は廃止されました。1966年に自民党は、戦前の天皇制への回帰をめざして、紀元節を復活、さすがに建国記念日とはいえず、「建国記念の日」と祝日にしました。
今日は、歴史を正しく見つめ直す日と思っています。
活動報告を更新しました。
2025年1月
2025年が明けました。
地球温暖化の影響は、私たちのくらしにも大きな影響をもたらしています。私は、昨年の12月議会で、産業革命後の世界の平均気温が1.9℃上昇していることを指摘しました。ここ10万年の間で最も温暖であった数百年の時期でさえ。プラス0.2℃からプラス1.0℃の範囲に収まっているのですから、この間の気温上昇は異常であることがわかります。度重なる気象災害が、いつ我が身に降りかかるか、心配のタネがつきません。気温の上昇が日本の農業に困難さを加えています。
温室効果ガスの排出抑制のためには、社会の構造を根本的に見直すことが必要になってきています。再生可能エネルギーを基軸にすること、社会のすべての面で省エネルギーを徹底させることが必要です。
自民党政治は、石炭火力廃止に踏み出せず、放射性廃棄物の安全な処理を見いだせず、事故が起きた時制御不能になる原発に固執するのは、国民の利益よりも大企業の要求を優先するものとなっています。
日本共産党のしんぶん赤旗が暴露した裏金問題は、自民党が大企業のために国民生活をないがしろにしてきた実態を明らかにしてきました。
私は、市民のみなさんの声に支えられながら、昨年1年間、自民党政治に対決し、上野原市でも市民のくらしを守るために力を尽くしてきました。学校給食費の全学年の無償化、こども園、保育所、幼稚園の3歳以上児の給食費の無償化も実現しました。5年にわたって要求してきた高齢者の補聴器購入助成制度も実現しました。また、東部地域広域水道企業団議会でも、水道料金値上げをさせないために力を尽くしてきました。
女性差別撤廃条約選択議定書の批准を求める請願も市議会で多数の賛成で採択されました。
昨年10月の総選挙では、小選挙区上野原市開票区で日本共産党の候補者が2,809票と過去最高の得票を得ることができました。
また、みなさんの声と調査した資料を駆使して議会の論戦をリードして、市民の願いを実現するために力を尽くしました。さらに、議会運営委員会委員長として、議会のスムーズな運営に努めてきました。
物価高騰が市民のくらしを直撃しているときに、上野原市政がくらしを守るために、自民党政治の防波堤となるようがんばる決意です。