2024年8月の日記


秋祭り

2024年8月31日(土)

台風10号が近づいていますが、夜が明けてから、天気が持ち直し、陽がさしてきました。午後からは雲が出はじめ、また雨が心配されます。

団地も秋祭りの日です。市内の牛倉神社では、お神輿や屋台の催しは中止になりましたが、今から子ども神輿の渡御が始まります。実行委員の方が毎年準備をして開催しています。特にお納めしている神社はありませんが、お祭り好きの人たちが準備をしています。

夕方から大人の神輿も繰出す予定ですが、雨が心配です。


台風

2024年8月30日(金)

台風10号に影響された降雨も、午前9時の降雨量が0mmとなり、連続雨量がとぎれたので、国道20号の雨量規制も今日はなくなりました。それでも、中央道の八王子JC付近で通行止めがあり、昨日は中央線が一時運転見合わせがあって、いろいろと影響がありました。

台風10号の動きが遅く、多量の降雨が各地で見られましたが、暴風圏もなくなったようです。予報円も1日9時までで、それ以降の表示が消えています。熱帯・温帯低気圧に変わるのでしょうか。

上野原市内の交通規制はなくなりました。中央道の規制はまだ続いているようです。


雨量規制

2024年8月29日(木)

国道20号大月市梁川の雨量規制のグラフです。この1時間の雨量は29mm。連続雨量が51mmになりました。連続雨量200mmで規制がかかります。このままで続くと、通行止めもあり得る降雨です。この場所は、上野原市と大月市の境界です。国道20号の東側にも雨量規制区間がありますが、1時間雨量39mmを記録しています。こちらは連続雨量74mmです。ただし雨量規制は、連続雨量300mmとなっています。上野原市は、国道20号、東西両側で雨量規制区間を抱えているので、中央道が通行止めになると、ほぼ、交通はマヒ状態になります。南北には、県道などが通っていますが、20号よりも早く規制がかかります。

台風10号の動きが遅く、雨が心配です。


市役所

2024年8月28日(水)

今日市役所に行くと、玄関横に路線バス、タクシー運転手募集のチラシが貼ってありました。運転手の確保は、どこでも大変です。地域の公共交通の課題を解決するためにも、何とかしなくてはなりません。賃金や働く環境の改善も必要です。

教育委員会の窓口も26日から変更になっていました。今まで使っていた教育委員会の事務室は、文化財の常設展示場として使うための工事が始まります。


議員全員協議会

2024年8月27日(火)

本日開かれた議員全員協議会で、上野原市の新しい事業についての説明がされました。

■ 保育施設等給食費支援事業

 今まで3歳以上児の給食費(月額4,100円)を10月から無償にするとともに、私立子ども園、幼稚園に在園する3歳以上児にも、上限5,800円の補助金を支給する。市内に在住する3歳以上児は、274名ですが、支給対象児は271名。

■ 高齢者外出支援事業(仮称)

 70歳以上(免許返納者は65歳以上)を対象に、富士急路線バスのシルバー定期券(年額27,500円)の購入に対して、2万円の補助金を支給。11月以降に事業開始。市に申請をすると、割引証が送付され、窓口で減額した値段で購入。富士急の全路線バスで乗車可能。

■ 再配達削減推進事業費補助金

 宅配ボックスの購入について、県・市からそれぞれ上限5千円の補助金を支給。10月より事業開始予定。


9月議会にむけて

2024年8月26日(月)

9月議会の一般質問の原稿を書かなくてはいけないのに、行き詰まっていて、ちっともすすみません。息抜きをしています。

明日は、開会1週間前の議会運営委員会、議員全員協議会が開かれ、議案等の説明が行われます。いよいよ、9月議会です。まったなし。


避難訓練

2024年8月25日(日)

今日は上野原市の防災訓練の日でした。団地自治会も同時に避難訓練でした。まずは各丁目集会所に集合して安否確認訓練。各ブロック委員が担当の各戸に白いタオルがあるかを確認して、集計していました。その後は上野原西小めざして、移動。上野原市の備蓄品のわかめ御飯をいただいてきました。その後、消火栓からの放水訓練。集会所に移動して、心肺蘇生の講習会でした。自治会の担当者の方々、ご苦労様でした。心肺蘇生の講師は、団地にお住いの大学の先生でした。消防署職員を依頼しましたが、今日は市全体の防災訓練で派遣が出来ないということで、依頼されたようです。人材豊富な団地住民です。

団地内のAEDの配置場所について、上野原市の公式LINEで検索して、お知らせしました。


デジタル化

2024年8月24日(土)

今年の夏に飛行機を利用する機会が、ありました。もう何年も前から、インターネットで予約できるようになり、旅行会社の窓口に行かなくてもすむようになりました。便利になりました。ところが今年は、不安が一つ増えました。搭乗券がweb化されたことです。チェックインもスマフォから行い、画面に二次元コードを表示して、手荷物の預け入れ、保安検査場の通過、搭乗をすることになりました。以前は紙にバーコードが印字されたものが手元にありましたが、電子データになってしまうと、ほんとに、そのデータが保存されているのか、不安はつきません。さらに、連れ合いの搭乗券は、どうするのか、試行錯誤の繰り返しでした。

デジタル化社会への移行は、すべての国民が、このハードルを越えなくてはできません。強権的に行えば、国民の権利を切り捨てることにつながります。河野デジタル相のやっていることは、IC企業のために国民の権利を切り捨てることにほかなりません。


ぴゅあ富士で

2024年8月23日(金)

今日は、ぴゅあ富士で、12月に開かれるぴゅあフェスティバルの独自プログラムの検討会。ぴゅあフェスティバルは昨年から3館合同(総合・峡南・富士)で開かれるようになりました。メインはぴゅあ総合となりますが、1日目の午後だけは、3館それぞれの独自プログラムになるので、その検討会です。

ぴゅあ富士の正規職員は2名。担当職員は今年4月に赴任したばかりだったので、昨年までの資料を基に、悪戦苦闘しているのが、目に見えます。参加者は、それぞれ言いたいことを言うので、そのとりまとめは大変そう。

事務局案が出てきましたが、いろんな意見を取り入れるものだから、出てきたものは中途半端なものになってしまいます。大胆にメスを入れた意見を言わせてもらいました。


健康保険で要請

2024年8月22日(木)

山梨県社会保障推進協議会(社保協)が、全県の市町村に「国民健康保険、後期高齢者医療、福祉医療の改善を求める要請」を行っています。今日は、社保協の新藤さん(県労)、津布久さん(民医連)が要請に来られ、同席させていただきました。野崎副市長、佐藤政策秘書課長等に対応していただきました。

国民健康保険の都道府県化がすすみ、これから保険料の統一、事務の統一が課題になっているが、ぜひ市町村が独自に進めてきた施策が継続できるように努力してほしいと要請しました。

国民健康保険について、上野原市は滞納世帯についても、資格保険証(窓口10割負担後、償還)は発行せず、短期保険証で対応しているが、有効期間についても柔軟に対応してほしいと要請しました。

 その他、マイナ保険証、高齢者の補聴器購入助成についても懇談しました。

赤旗読者ニュースを更新しました。「原爆と人間」パネル展について載せています。

「満蒙開拓団」

2024年8月21日(水)

「満蒙開拓団」一員として、1939年に中国東北部(旧満州)に家族と一緒に8歳で入植し、現地で敗戦を迎えた人の記録文を読ませていただきました。過酷というしかありません。現地で両親も亡くし、帰国を果たすまでに経験したことは、想像に絶するものです。

ソ連参戦の報が伝わると、関東軍は、「開拓団」を見捨てて、いち早く逃亡しました。沖縄県の地上戦でも、日本軍は県民を守る行動には出ていません。軍隊は守るけれど、国民を守る気はない、これが実態ではないでしょうか。

過去の話ではありません、自衛隊の司令部のためには地下壕を確保するが、市民の防御にはほとんど心を配りません。Jアラートを鳴らすから、自分で身を守ってくださいと繰り返すだけです。

ウクライナにしても、パレスチナの問題にしても、大国の思惑が、戦争・紛争の下地にあります。大国の横暴をどう制御するかが、今後の世界政治の焦眉の課題だと思います。

現在進行している自民党総裁選で、国際政治について、アメリカの横暴について語る候補者はいるのでしょうか。アメリカは「正義」という思考停止はやめてほしい。


タカ派

2024年8月20日(火)

自民党総裁選がうるさい。今日は小林何某という人が立候補の記者会見をして、自民とは変わると言っていますが、中身は変わりません。

政策面では経済政策を最初に挙げ「『経済は財政に優先する』というのが基本的な考え方で、世界をリードする戦略産業を育成する。あわせて物価高への対策パッケージをことし中に打ち出す」と説明しました。・・・大企業優先の政治は変えない。

また、外交・安全保障政策をめぐってはグローバル・サウスの国々と欧米の先進国の懸け橋となって国際秩序を強化し日本にしかできない方法で世界をリードすると訴えました。・・・アメリカのために働くことは変わりない。

社会保障政策では若者に過度な負担がかかっている今の仕組みを見直し、若者対策としてあらゆる政策を総動員し若者の手取りを大幅に増やす考えを示しました。・・・世代間対立を煽り、真の原因である大企業に適正な負担は求めない。

憲法改正については「政治の要諦は危機管理であり緊急事態条項の新設と自衛隊明記は喫緊の課題だ。早期の発議に向けて最大限の熱量をもって取り組む」と述べました。・・・まさに、軍事優先の政策に変更なし。

最後にみずからの名前の「鷹」という文字に触れ「鷹は時折古い羽を新しい羽にかえる習性を持っている。自民党も時代に合わなくなった慣例という古い羽を勇気を持って脱ぎ捨てて新しい羽を生やす必要がある。大先輩から後輩まで協力を仰ぎ守るべきものを守るため新しい自民党をつくっていく」と意欲を示しました。・・・名前の通り、タカ派。 「アベ政治」の継承者です。失われた30年を取り戻すことはできません。


戦争法廃止をめざして

2024年8月19日(月)

戦争法廃止をめざす上野原行動。毎月19日のスタンディングです。死に体の岸田首相、「自衛隊を憲法に明記」と憲法改正の暴走が止まりません。裏金問題で政権を放棄した首相ですが、その後継者は、その責任を感じていない人ばかり。メディアは、裏金問題や統一教会問題はスルーして、総裁候補の宣伝ばかり。大企業からの裏金で国民を操り、国民の暮らしを破壊してきた政治の精算が必要なのに、首のすげ替えで済まそうとする自民党を延命させることは許されません。その一方で、中国や北朝鮮のことをいいながら、日本の軍備増強が東アジアの緊張を高めていることに目を向けなくてはならないと思います。アメリカの世界戦略の一端を担う政治姿勢が、日本の外交を貶めています。核兵器廃絶の先頭に立たなければいけないのに、いつまでも核兵器禁止条約に背を向けている日本政府は、情けない。


「満蒙開拓団」

2024年8月18日(日)

上野原市に「満蒙開拓団」で旧「満州」に行って帰ってこられた方が住んでいます。手元にその時の話を書いた原稿があるので見てもらえませんか、と声を掛けられました。四百字詰め原稿用紙で100枚を超す大作です。これまでの事を書いて残したいということでした。中国でのことも、帰国してからも大変苦労をされています。自費出版になりますが、お手伝いすることになりました。

国策で「満州」に駆り出された人達は、敗戦前後、彼の地に取り残されてしまいました。残留孤児の問題も生じました。「満州」からの引揚者について、国はほとんど責任をとってはいません。

国民にも多大な損害を与えたにも関わらず、戦争責任を曖昧にしたまま決着を図った結果、未だに戦争を遂行した人達の後継者が政治の中枢にいることが、日本を不幸にしています。


地震

2024年8月17日(土)

南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が解除され、通常に戻りましたが、南海トラフにしても、相模トラフにしても、今後30年間に巨大地震が発生する確率は低いものではありません。いつ起きても対処できる必要があります。

地震といえば1996年のことです。夏休みに東北の沢を登ろうと計画しました。1本目の沢は、どこか記憶に残っていませんが、雨で諦めました。2本目は、秋田県森吉山の桃洞沢をめざしました。2年後に開かれる日本ジャンボリーのための道路工事でテント場に着くために苦労しましたが、テント場は貸し切り。桃洞沢は、ナメ滝の連続で快適でした。水の中ではイワナがたくさん泳いでいました。釣りをすれば塩焼きが期待できましたが、あいにく竿を持っていませんでした。

帰りに余裕ができたので、岩手・宮城県境の栗駒山(1626m)に登ることにしました。山麓の須川温泉にあるテント場に泊まりました。8月11日に山頂をめざしましたが、山頂近くで震度5の地震に会いました。ガレ場で立っていられないような揺れだったので、近くにあったハイマツの中に飛び込みました。揺れが収まってすぐに下山開始。テントを撤収し、追われるように下りました。その直後に通ってきた道路が通行止めになっていきました。

栗駒山は、高山植物が豊富で美しい。紅葉もきれいです。しかし、2008年にも大地震が起こり、一部山体崩壊が起こるなど被害も多いところです。

 日本中、どこも地震の巣です。いつ起こるかわかりません。電源喪失が起こると制御不能となる原発はすぐに廃炉に取りかかるべきです。廃炉するにも時間がかかります。原発を運転すれば、放射性廃棄物が貯まります。その最終処分場も決められない状態で、再稼働、増設など狂気の沙汰です。

上野原通信を更新しました。チングルマを載せています。

 


台風7号

2024年8月16日(金)

台風7号の影響で断続的に雨が降っていますが、これまで大きな被害について情報が入ってきていません。現在の空は幾分明るくなっています。雷注意報、大雨注意報は発令中です。

外に出られないので、依頼のあったぴゅあフェスティバルの寸劇のシナリオ第1稿を書き上げ、事務局に送りました。

シナリオを書くために内閣府男女共同参画局のHPにある「女性活躍見える化サイト」のデータを検索していたのですが、山梨県の都留市・上野原市・小菅村・丹波山村のデータが欠落していました。県の担当課に連絡しておきましたが、まだ修正されていません。


墓誌

2024年8月15日(木)

私は1948年生まれなので、直接戦争は知りません。しかし、戦争の傷跡が色濃く残った時代を知っています。父母は戦争の時代を生きぬいてきました。父は戦場に赴き、一度は戦死公報が発せられています。母は、軍国主義による弾圧を目の当たりにしています。特高の監視対象にもなっています。

戦争が終わっても、貧困がまとわりついていました。父が安定した仕事を得るのは1958年頃でした。それでも決して裕福とまでは言えませんでした。中学3年のときには、卒業して就職も真剣に考えたこともありました。

さらに兄は知的障害がありました。兄の父は、兄が1歳の時1944年に亡くなっています。戦後、母は兄を連れて再婚します。兄の教育について、自立させようと、母は非常に苦労したようです。小学校は近くの学校に通わせていましたが、中学は世田谷区にある都立青鳥養護学校に入学させます。当時は、江東区に住んでいたので、長時間の通学でした。養護学校卒業後、一般の企業に就職させています。

兄が亡くなったのは、1979年でした。結核を患い、その上に糖尿病を発症しました。治療上の対応が全く異なることで、非常に難しい状況でした。享年36歳。

父は、2000年に、母も2014年に鬼籍に入りました。

戦争を二度と起こしてはならない、父と母から託された私の信条です。


墓参

2024年8月14日(水)

墓参に行ってきました。2000年12月に建てた墓には、父、母、兄が眠っています。父が亡くなった時に、墓を造ることになりましたが、母がお参りすることを考えて、坂がなく駅に近くの墓地を探しました。父を埋葬したときに、みころも霊堂に預けていた兄の骨も改葬しました。

8月16日は父の命日です。その年(2000年)も暑い夏でした。2月に脳梗塞を起こし、入院生活が続いていました。八王子医療センターに搬送されましたが、入院が長期になったので、転院を要請されました。主治医の先生が非常勤で務められていた平川病院(精神科)を紹介されました。意識はありましたが、積極的な会話も成立しない状況でした。7月に入り、意識レベルが低下し、何度も病院から呼び出しがありました。その都度回復したのですが、8月16日にも呼び出しがあり、そのまま息を引き取りました。

父は、戦時中、中国戦線に派遣され、1939年1月29日、山西省遼縣蘇亭村付近で戦死したと戸籍に記載されています。父の故郷には、2階級特進で伍長となった立派な墓が建っています。1946年3月7日に錯誤訂正がされています。7年間も抑留生活を送っています。過酷な青春時代だったと思います。


台風7号

2024年8月13日(火)

台風7号が発生しました。16日午前3時には伊豆諸島近海まで到達し、17日未明に山梨県に最接近する模様です。地震の後は、台風、災害の多い日本です。自然災害には備えるしかありません。観測技術の発展に伴って、少しの時間的余裕が生まれているので、その時間を利用するしかありません。でも、自然の持つエネルギーは今のところ人力の及ぶものではありません。軍事費には惜しみもなくおカネをつぎ込むのに、災害対策にはあまりにもケチな政府に怒りを覚えます。

「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表され、各鉄道会社が減速運転区間を設けている程なのに、原発には、何の規制もかかっていません。原発運転中に冷却系統に異常が発生したら、どうするのでしょう。福島の経験から何も学んでいないのでしょうか。


ペルセウス座流星群

2024年8月12日(月)

今日はペルセウス座流星群の極大日です。高校教員の現職の頃、自然科学部が大菩薩峠付近で観測を行うというのを聞いて、スイカの差し入れを持って登った記憶がかすかにあります。

母天体は、スイフト・タットル彗星という130年の周期で太陽系を回っている天体だそうですが、どうやって調べたのでしょうか、興味が湧きます。


益田市

2024年8月11日(日)

休みをもらって島根県、山口県に行ってきました。主に島根県益田市を拠点に周りました。益田市は人口が4万人あまりの小さい自治体です。島根県も人口が66万人で山梨県よりも小さな県です。益田市は、中世の日本が残っているとして世界遺産に登録されています。平安末期から室町時代にかけて益田氏が領有し、朝鮮や中国との交易で財をなし、文化も栄えています。写真は雪舟が作った庭園です(万福寺)。

益田市は、京に行くより、朝鮮半島が近いのです。

富山県が環日本海地図を作り、日本海を挟んで東アジアの国々と一体になっていると強調しています。歴史を考える時、中央政府だけに目を向けるだけではなく、多様な視点が必要であることを感じさせられました。

益田市には、島根県芸術文化センター・グラントワがあります。石見美術館といわみ芸術劇場を備えています。石州瓦をふんだんに使った建物に圧倒されます。


地震

2024年8月10日(土)

気象庁が、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表したとたん、昨日の夕刻には、神奈川県西部を震源とするやや強い地震がありました。震源は神奈川県秦野市。深度10kmで、丹沢山塊の下で動きがありました。

上野原市では、市役所と秋山で震度3,四方津は震度2でした。

神奈川県では厚木市などで震度5弱を観測しています。都留市も震度4でした。

少し前までは、東海地震予知連絡会などが、地震の予知について研究を重ねてきましたが、十分な知見が得られず、非現実的だとなり、その地域に起こり得る可能性の大きい地震の最大震度から被害の想定を出し、災害に備えていく方向になっています。


巨大地震注意

2024年8月9日(金)

気象庁は、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表しました。

** 見出し **
本日(8日)16時43分頃に日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生しました。この地震と南海トラフ地震との関連性について検討した結果、南海トラフ地震の想定震源域では、大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。今後の政府や自治体などからの呼びかけ等に応じた防災対応をとってください。
**

南海トラフ地震の想定震源域のどこかで巨大地震が起きる可能性が相対的に高まっている、というものです。東側の震源域で発生すると、上野原市では震度5弱の地域が多いと想定されますが、一部では震度6弱になることも考えられます。

もう一度、地震が起きたときの対応について考えて、備える必要があります。


視察

2024年8月8日(木)

今日は文教厚生常任委員会の視察で東京・江戸川区に行ってきました。文化財の保管・展示状況についての調査です。上野原市も来年4月に文化財の常設展示ができる施設が市役所内にできます。江戸川区は人口が69万人で比べるべきものではありませんが、郷土資料室はコンパクトです。

学芸員の方からお話しをお聞きしましたが、非常に苦労をされている様子がわかりました。施設はコンパクトでも内容は濃密でした。企画展のパンフレットが圧巻です。洗練されたデザインも素敵です。

赤旗読者ニュースを更新しました。水道企業団決算認定について載せています。

 


歩道拡幅工事

2024年8月7日(水)

四方津駅前では、国道の歩道拡幅工事が行われています。後2か月で完成予定です。

国道20号の上野原市内には、危険箇所が、いっぱいあります。特に上野原西中の通学路は、歩道がなく、排水溝の上を歩いているところがたくさんあります。何とかしてほしい。

それにしても暑い。


原爆投下

2024年8月6日(火)

79年前の8月15日、アメリカが広島に原子爆弾を投下しました。

広島市のHPには、「原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。」「原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。」と記載されています。

これは、ハーグ陸戦条約の「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」に反することは明らかです。原爆投下から79年経つ今も、その痛みに苦しんでいるのは「不必要な苦痛」でしかありません。

ハーグ陸戦条約には「防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない」ともあります。無差別に攻撃する兵器は、許されるものではありません。戦勝国だからと許されてきたことが、現在の世界の混迷につながってきています。

核兵器保有国が広がっても、それが違法であるとは言えませんでした。核兵器不拡散条約ができても、これまでの核保有国の核保有は認めても、それ以外の国の核保有は認めないという論理は、説得力を持ちません。

核兵器禁止条約は締約国が70カ国になっています。この世界の流れで、核保有国を包囲し、核廃絶をめざすことが本流です。核兵器禁止条約に背を向けている岸田政権は、核兵器廃絶を押し止める役割を果たしていることになっています。

岸田首相が言っている現実的な道は、「アメリカが核廃絶を宣言したら、それについて行く」みたいなことですから、最も非現実的です。


原爆パネル展

2024年8月5日(月)

「原爆と人間」パネル展が今日から3日間上野原市役所1階ロビーで開かれています(実行委員会主催)。核による脅しが世界の西と東で存在しています。こうした核の脅しをなくすためには、核兵器禁止条約をすべての国で認めさせる以外にありません。

唯一の戦争被爆国である日本政府が、その先頭に立たなくてはいけないのに、見ているのはアメリカの顔色ばかり。


ぶどうの会

2024年8月4日(日)

今日はぶどうの会(山梨不登校の子どもを持つ親たちの会)が、上野原市で「不登校・ひきこもり」出前講座と交流の会を開き、参加させていただきました。

不登校の子どもを持ったIさんのお話、会代表の鈴木正洋さんの基礎講座、参加者の方の意見交流と濃密な時間を過ごしました。不登校やひきこもりは、自己責任・家庭の責任と矮小化される風潮の強い中で、学校教育の競争原理と同調圧力の重圧によって、子どもが悲鳴を上げていることを直視すべきだと思いました。

私が現職高校教員で学年主任をしていたとき、他のクラスで入学式3日後に不登校になった生徒がいました。入学式後にクラスで何か起こったわけではありません。何かがきっかけで登校できなくなりました。担任とともに家庭訪問をし、本人とは会えませんでしたが、母親に、「家庭での教育が悪かったと考えてはいけません。誰もが不登校になる可能性がある時代です。お子さんは何らかの原因で、人間的な関係がうまく行かなくなったのでしょう。親が恥ずかしいと思っていると、社会との関係が閉ざされてしまいます。昼間から外に出ていると、いろいろなことを言われるかもしれません。外に行きたいと言ったら、積極的に送り出してください。アルバイトしたいと言ったら、ぜひ応援してやってください(当時?の学校は校則でアルバイト禁止です)。人間的な関係を広げ、深めることが一番大切なことですから」とお話しました。

次の年の3月に、担任を訪問させ、「来年度はどうするの」と聞いたら、学校に行きたいと本人が答えたので、留年の手続きを取りました。彼女はそれから3年間、皆勤で卒業していきました。


議員研修会

2024年8月3日(土)

昨日は山梨県市議会議長会の議員研修会が開かれました。清水克士早稲田大学マニフェスト研究所(前大津市議会局長)が「これからの地方議会~政策立案と議会広報公聴の重要性」と題して講演をしました。

清水さんの話は、議会活動の中で立法趣旨と異なるところがあるので、是正が必要だということがまず、述べられました。

政策立案では、1.執行機関が縦割り行政課題を解決する条例制定、2.執行機関が率先垂範が期待できない行政課題に関する条例制定、3.執行機関が当面の対応に追われ将来を見据えた施策の立案の3つのパターンに集約されるとしていました。

議会の公聴広報の問題では、双方向性、年代にあった手段の工夫、議会活動(議員活動ではない)そのものの広報など、従来の「議会だより」ではカバーできないことに挑戦する時代になってきていると示唆されました。

その中で議会局(議会事務局)の果たす役割についても述べられました。人口34万人の大津市だからできるのでは、と思うところもありました。


シナリオ

2024年8月2日(金)

昨日は定例の男女共同参画推進委員会。本来は第1火曜日なのですが、諸般の事情で変更。

来月号の広報のスマイルニュースの担当が私だったので、すでに原稿提出済み。最後の1行が変更の提案があり、了承。9月の広報をお楽しみに。

別の基本計画策定委員会で、来期のスマイルプランの検討中ですが、推進委員会としても意見を提出しようと検討しました。

12月に開かれるぴゅあフェスティバル2024に、上野原市男女共同参画推進委員会で活動発表をすることが決まっています。シナリオの作成を依頼されていたので、大まかなプロットの説明をしました。これから1ヶ月でシナリオ作りです。


夏山の思い出

2024年8月1日(木)

写真は白馬三山です。北アルプスの北部にある花畑が有名な山塊です。白馬岳(しろうまだけ)には何度も登りました。登るときは、白馬大雪渓のルートを使いました。ところが、現在は通行止めになっています。途中でクレバスがあり、危険だということです。一応8月31日までとなっていますが、夏山シーズンはほぼ通行できないようです。温暖化の影響でしょうか。

頂上直下には、白馬山荘(定員800名)、村営頂上宿舎(定員416名)の大きな山小屋があるのに、登る人も限られてしまいます。

夏山も思い出だけの世界になりつつあります。

赤旗読者ニュースを更新しました。糖尿病対策について載せています。