2025年1月の日記


校正作業

2025年1月6日(月)

原稿を預かっている知人のところに行って著者校正をもらってきたので、原稿の修正を行いました。追加原稿もあったので、必死に入力しました。どこに出稿するのか検討中です。いくつかのところに見積もりを出しました。出稿先によって用意するデータに違いがあるので、出力もいくつか用意しなくてはなりません。ページ番号を振るにも、目次部分は省きたいから、どうするのか、また新しい知識が要求されてきました。これは解決。A5版72ページにもなりました。編集者の仕事もほぼ終わりました。

1月9日に発行する赤旗読者ニュースの準備もしなくてはなりません。


旧「満州」の地図

2025年1月5日(日)

終日編集作業をしていました。「満州開拓団」に両親とともに中国に渡られ、苦難の末、帰国された方の手記の編集のお手伝いをしています。ようやく印刷ができる形までに進みました。目次も作り、旧「満州」の概略図も描きました。編集作業をしながら、何度もやるせない気持ちが沸き上がってきました。軍備なくして国は守れないと勇ましく戦争の準備をしている人達に考え直してほしいと思います。

軍隊が国と国民を守ってくれると考えているならば、それこそ「平和ボケ」ではないかと思います。現実の戦争をみれば、軍隊が守っているのは、自分の組織です。旧満州で起きた関東軍の現実は、ソ連が国境を越えたことがわかると、国民を見捨て、自分たちだけ撤退してしまいました。今だって、自衛隊は自らの防空壕を作っても、まわりの国民はほとんど放置です。お飾り的な避難計画を作っても、その実効性は保証の限りではありません。

必要なのは、したたかな外交戦略と粘り強い交渉の積み重ねです。


東北新幹線

2025年1月4日(土)

大学4年の時、宮城県の高校教員試験を受けに仙台に来たことがあります。友達の実家に泊めていただいた記憶が残っています。教員試験は見事に落ちてしまいましたが、随分時間がかかったように思います。

今日は新幹線を使いましたが、東京まで約2時間。東京駅から自宅まで約2時間かかっています。新幹線ができたことで、旅の様相もすごく変わったように感じます。その一方で、幹線から離れたところの交通の便が悪化しているような気がしています。

旅の合間に、知人から預かっていた原稿の校閲作業をしました。


松島

2025年1月3日(金)

3年ぶりに家族が集まりました。孫3人も大学生。札幌、仙台、沖縄とそれぞれ違う大学に通うようになりました。今年は、孫の一人が住む仙台に集まろうということになり、9人が集まりました。今日は松島で遊びました。ジェネレーションギャップを感じるところも多々ありましたが、それぞれの人生を歩んでいるので、見守ることが一番と感じています。


元日宣伝

2025年1月2日(木)

昨日は、起床5:04。ポストを見ると、しんぶん赤旗の部数が多い。配達者に確認をすると、二人の人が同じ区分を配達していたことがわかり、すぐに自転車で回収。未配達のところを配りに行くことにしました。6時半までには、すべて配達が終了。欠配、遅配にならずに済みました。

配ったついでに、高尾山へ。小池晃書記局長をはじめとする元旦の訴えが、高尾山登山口であるので聞きに行きました。高尾山口周辺の駐車場はすべて満車。高尾駅南口のコインパーキングに入れ、京王線で高尾山口に向かいました。上野原市でも牛倉神社などで初詣がありますが、宣伝する場所がありません。高尾山登山口では、小池書記局長をはじめ、吉良よし子参議院議員、山添拓参議院議員、宮本徹前衆議院議員、アオヤギ有希子都議会議員、八王子市議会議員5人が勢揃い。凛とした冷たい空気の中、今夏の都議会議員選挙、参議院議員選挙での日本共産党の躍進を訴えていました。弁士それぞれが、個性ある話をされていました。

アオヤギ有希子さんは、私が八王子に住んでいたときからの知り合いです。民青の高校生の勉強を見てほしいと言われてお手伝いをしましたが、そのとき民青の責任者をしていたのがアオヤギさんでした。清水秀子さんの後を継ぎ、都議会議員2期目をめざします。

小池書記局長は、参議院比例代表の候補者で、山梨県も活動地域になっています。宣伝の終了後、小池さんは、おみやげ屋さんでまんじゅうを買われていました。

赤旗読者ニュースを更新しました。「2024年を振り返って」の記事があります。

活動報告1月号を載せました。

上野原民報を載せました。12月議会報告です。

あけましておめでとうございます

2025年1月1日(水)

地球の自転や公転に区切りがあるわけではないのに、新しい年のはじめは、何かと違う気分が訪れてきます。

昨年を振り返ると、一番印象に残ることと言えば、議会運営委員会の委員長に就任したことです。初当選した1期目は、議会内のほとんどの役職から外されていました。1期目だからということを挙げていましたが、その裏には日本共産党だからという理由がついてまわりました。

上野原市議会では、当選期数の多いものから役職を割り当てることが以前は慣例のようになっていました。当選期数からすれば、私に回ってくる時も、副議長・議長職は他の人に割り当てられていました。2年前の改選期以降は、1期目でも委員長職となった人もいます。

2年前の3期目に入ると、当選期数からすると上から4番目となり、さすがに無視することができなくなり、議会運営委員会に選出されました。そして昨年の2月には、2回のくじ引きとはなりましたが、議会運営委員会委員長に選出されました。10年前には全く想像できないことでした。

議会運営委員会委員長になったからと言って、恣意的に何かをするわけではありません。公平に、そしてスムーズに議会運営が図られるように努力し、基本的には全員が合意できるように努めてきました。議会運営も民主的に行うことが日本共産党の基本的な方針です。